2010年8月14日土曜日

「なったら総理」と「なれたら総理」の事。くにまるワイドより。

8月12日くにまるワイドごぜんさま~より、伊藤惇夫さんのお話の抜粋です。

「なったら総理」と「なれたら総理」のことについてが興味深かったです。
私の抜粋メモですので、厳密な内容ではありません。

民主党は代表選挙で混沌としていて、代表選挙の話題が収まらない。
背景にあるのは総理大臣の資質に疑問符がつきはじめたからである。
もともと菅さんは攻めには強いがまもりには弱いと言われていた。
なぜ守りに弱いといわれるかというと、攻める時の鋒は鋭いけれども、答弁の時には迫力がない。
菅さん自身の行政の手違いで年金の記載漏れが発覚した時に、あっという間にやめてしまってお遍路さんをやっていた。
女性スキャンダルのときにも堂々と出てこず、一週間くらい雲隠れをしていた。
これらのことからどうも守りに弱いかといわれていたが、どうもそのとおりになってきてしまった。
菅さんが総理になってから、自分はこれをやるんだという明確なメッセージがあまりでていない。
「最小不幸世界」、「強い経済・強い財政・強い社会保障」、この3つをあわせてぱっとビジョンになるものがない。

「自分が総理になったら」と思ってなる総理大臣と、「自分が総理になりたい」と思ってなる総理大臣とがいるのではないか。「総理になったら◯◯をやるんだ」という総理が「なったら総理」で、総理大臣になることが目的で政治・政策を考えるのが「なりたい総理」である。
「なったら総理」と「なりたい総理」の違いは、明確なメッセージが出るか出ないかなのではないか。

かつての中曽根総理はいい悪いは別として、「なったら総理」の典型だった。
総理になるまで35年になるまでかかっているが、初当選したときから総理になりたいと公言していたが、いうだけでなく、なったらどうするかをノートに書いていて、それを総理になったとき引っ張り出したら何十冊にもなったと言われている。
中曽根さんはかつて風見鶏といわれた。
いろんな方を向いていて、総理になったときにも田中角栄の傀儡だなどといわれたが、徐々に跳ね返していった。
彼のメッセージは「戦後政治の総決算」であり、国鉄の精算、日米関係の再構築 アメリカ大統領と肩を組んであるいたりしたのは有名だ。
後藤田さんの入れ知恵で死んだふり選挙などといわれた解散などを行った。
結果的に長期政権を維持した。
なぜ長期政権を続けたか。長い準備期間とビジョンを構築して運営を進めていったからである。
かつての総理は成功失敗はあれ、軸になる政策を持っていた。

菅さんは総理に就任したときには中曽根政権を意識していた。
その証拠の一つは官房長官人事で、中曽根さんは後藤田正晴さんを幹事長にした。
耳に痛い煙たい存在を官房長官にすえた。真似て、仙石さんを官房長官にしたり、色々と手本にしていると(伊藤さんは)当初は思っていた。
ただ、だんだん似ていないと思うようになってきた。
軸になる政策・何をやりたいのかが伝わってこない。
この国の政治は私が総理になった以上こうすすめるというのが分かりやすいが、それがない。
中曽根さんは戦後政治の総決算といって、賛否はあっても明確にメッセージを出した。
最近はやはり賛否はあるが、小泉さんもそういう風に進めた。
菅さんはそれに比べたら、菅さんは「なったら」というビジョンではなく「なりたい総理」なのではないか。
菅さんも20年位かかって総理になっているし、まだ2ヶ月だからかもしれないが、ビジョンが出てこない。
消費税の発言をみていると、増税を断行して勝った総理として名を残したいからそれを出して、
(本当に必要だったら簡単に引っ込めるはずはないのに)すぐに引っ込めた。
消費税発言は名前を残したいだけの思いつきというふうに受け止められてしまう。
今のところなりたいだけの総理だったのかという印象が定着してきてしまった。
「なっちゃった総理」というのもある。福田康夫さんなどは自民党内の動き・しがらみでそうなってしまった。
与党の責任として「なったら総理」を作っていくことが大切だろう。
マニフェストは印刷物上の文字として残っていますので、理屈だけを言えば、総理が何をしたいかは既に出ている、ということにはなるのですが、実際にはそうは受け取られていないようです。
取り敢えず衆議院選の時のマニフェストは既に実現困難な部分が相当にあるので、段階を区切って優先順位順に進めるという宣言を出すだけでも、だいぶ信頼感は違ってくると思うのですが、だらだらとなし崩し的に政治が進んでいくと、政治に対する関心そのものを失われていくということは是非ともわかって頂きたいです。
ねじれ国会の運営が現実的に困難なのは事実ですが、屁理屈を言うだけの野党を国民は支持しませんし、やることを宣言せずへりくだるだけの与党も支持されません。
総理が通さなければいけない法案をリストアップして、国会前にフリップで自ら説明して、穴だらけだったら野党がそれを廃案にする、穴も無いのに廃案にされたら野党を避難して野党の支持率低下を狙う、という姿を国民は期待しているのではないかと思います。
実現は困難なのは当然ですが、その困難な道を通って政治をして欲しい、というのが民意だと私は考えます。政治家という職業は本当に大変だと思いますが、今の民意の期待の水準は、「政治家に苦労をすること」に向かいつつあるのではないかと私は思っています。