2010年8月13日金曜日

偽善と結果としての善。エコポイント。くにまるワイドごぜんさま~より。

8月10日のくにまるワイドごぜんさま~より、吉崎達彦さんの話から抜粋。

本筋の部分ではなく末節に当たる部分かもしれませんが、個人的に面白いと思った部分をまとめてみました。

今にして思えば、エコポイントという制度は素晴らしかったかもしれない。
エコカー減税・エコポイントというのは費用対効果で今までの対策で一番良かったかもしれない。
どこが良かったかというと、もう既に買うものがなくなっていた人々に言い訳を与えて物を買ってもらったことだ。
今の人達は物は持っている。必要という観点から車を買い換える必要は多くの場合は無いのだが、
「あなたの持っている10年前の車エコじゃないよね、プリウスみたいな車にかえたらご褒美がでるよ」
と購入するための言い訳をつくってあげたのがいいところだった。
現在お金を持っている階層の人が、
「お金持ってるし、新しい車買ってもいいんじゃないの」
と思っているところに実際はエコなのかどうなのかはわからなけれども、買い換えはエコ、という言い訳を与えた。
停滞している景気を動かすには背中を押さないといけない。
「これはエコだから、世の中のためだから」
ということは今にしてみればいいことだったかもしれない。
1400兆円の預金が眠っているこの日本で、お金を持っている人達の気持ちをもし少しでも動かすことが出来れば、すごい対策になる。
私は最近の何でもかんでも「エコ」というのが嫌いで、車の買い替えなんかエコでも何でもない、嘘ついてんじゃねーバッキャローと思っていたのですが、吉崎さんの凄いところは「実際にエコじゃないかもしれなけどこれはいいことだった」と経済からみた視点で評価をしているところだと思います。経済の評論をする人なら当然の結論なのかもしれませんが、私は単純なので「嘘つきはウソツキ」だと思ってしまいますし、今でもその感触は拭えません。
「嘘は方便」として嘘をつく人は信用されません。それはついた嘘が嘘だとわかるからです。
しかし、「嘘は愛」だとして、大人が子供に子供の成長の過程で嘘をついても、大人は子供から(結果的には)信頼は失いません。
私には「エコ」には親が子供に嘘をつくような形での真実は感じられず、インチキはインチキだと思うのですが、しかしながら、これは結果的にはギリギリ本当の意味での「方便」に届きそうな位置には届きつつあるのかな、と思いました。経済はお金が動けばそれはそれであり、というところが恐ろしいというか、個人で分析が無理な部分なのだろうなぁとつくづく思います。