僕が6.7歳の時、夢中になってみていた「太陽戦隊サンバルカン」。
それまでの戦隊シリーズとちがい、男3人のみという潔さにグッときた僕は 毎週土曜の夕方だったか、テレビに釘付けになり、祖父と一緒にお風呂に入りながら今日のサンバルカンがどんなに強かったかを熱弁していました。
昭和57年の2月末、後楽園遊園地のテレビCMで頻繁にサンバルカンショーのお知らせが流れるようになり、
『「後楽園遊園地で僕と握手」ってバルイーグルがいってるよー』
と父を説得したところ、(「かわいいね、子ども」:小島)ある日曜日に家族で出かけることになりました。
父と兄達は乗り物へ、母と僕はサンバルカンショーの会場へ行きました。
そしていよいよショーがスタート。流石は聖地後楽園、その辺のデパートの屋上でやるショーとは舞台の広さ、音の迫力、セットや仕掛けのど派手さなどすべてが桁外れでした。
しかし、舞台の上のサンバルカンは敵のブラックマグマに徐々に追い詰められていき、僕はもう、立ち上がって、喉も裂けんばかりに
「サンバルカン、がんばれー!」
と絶叫していました。ですがそんな応援も届かず、満身創痍のサンバルカンについにとどめが刺されようとしたまさにその時、
「まてーい」
という声と共に謎の5人組が現れたのです(「はっはっはっは、まさか」:宇多丸)。
そうです、サンバルカンの後番組「大戦隊ゴーグルファイブ」がサンバルカンの窮地を救いにやってきたのです。
そしてあんなに強くてカッコよかった僕のサンバルカンが全く歯が立たなかったというその敵たちをいとも簡単に倒していくゴーグルファイブ。
最後に巨大なゴーグルロボが登場して(後ろの壁がわれ上半身だけ姿を表しました)
すべての敵を倒したあとゴーグルレッドとサンバルカンが握手をしたんですが、サンバルカンのバルイーグルが
「地球の平和は君たちにまかせる」
といったとき、僕の中に何かしゃくぜんとしないものがふつふつと沸き上がってくるのをはっきりと感じました。
その後ゴーグルファイブのサイン&握手会が始まったんですが、(「ひどくない?」:小島)僕はサンバルカンと握手しに来たんだと言って僕は列に並びませんでした。乗り物でテンションの上がった兄達と合流したあともひとりムスっとしたまま帰宅。
後日ゴーグルファイブが始まっても、絶対にサンバルカンの方が強い、こいつら5人でずるい、と想い続けていました。ラジオの投書は一度読まれたらそれだけの存在です。
ポッドキャストで配信がされればとっておく人もいるかもしれませんが、それだっていつまでも配信を続けられているわけでもなく、投稿を中心に成り立っている番組はただリスナーがその番組を好きだという情熱によって支えられています。
上の投稿も文字で起こすと結構時間がかかります。文章を考えながら書いたらかなり時間がかかるんじゃないかと思います。
それでも、投書を読まれることは他に代わりがないくらい、なんだかうれしいものです。
子どもの頃、絶対に強いんだと信じていたサンバルカンが負けてしまって、大人の都合でやってきたゴーグルファイブにすりかわってしまった時の少年の絶望感が痛いほど伝わってきました。
子どもの頃、こういう切なさは良く感じていたとおもうんですが、おとなになったらさっぱりと忘れてしまっています。
げらげらと笑いながら聞いていましたが、こういう日常のひとこまの中で子供は真剣に生きているんだろうなぁ、と感慨深かったです。