2010年9月21日火曜日

渋谷の宮下公園の未来について。荒川強啓デイキャッチより。

9月17日の荒川強啓デイキャッチより、宮台真司さんの話の抜粋メモです。渋谷区の宮下公園の今後の運営については、ナイキの改装計画に合意した区側と、それに反対する団体側で意見が割れているとのことでした。
渋谷・宮下公園の運営について。

以前援交取材をしていたときによく待ち合わせに使われていたが、それとは関係はないが、この公園のリニューアル計画については三つ問題がある。

1.ホームレスの人のねぐらになっているが、彼らを追い出してナイキパークとして運営する。

2.公園の利用として、ナイキに名前を貸して、管理をナイキに任せるというのはいかがなものか

3.ナイキの運営は用途が限られるが公園としてそれは正しいのか。


社会福祉の中心は定住であり、ホームレスが存在するというのは最も悪い状態である。

現在、社会復帰が出来る体制がなっていないからこのような状態となっている。

追い出して改善をするのは過去のことから考えて、ダメな運営といえるかもしれない。

土地の運用は公の意識をきいてから決めていくのが一般的。

どういう経緯でこの利用方法を決めたのかはっきりする必要がある。

3番目の問題は最も強調したい。公園はどういう場所なのか、ということ。

昔から公園は何かをする場所と決められていない。

屋上というのは昔どういう場所だったかを調べた。屋上は何をする場所でもなく存在していた。

これは屋上が隙間としての居場所だったからで、公園はバスケットをする場所とか、何かをする場所と決めてしまっていいのだろうか。

ナイキが悪いわけではない。企業が利用するならこういう方針をとるのが当たり前。

ナイキはベンチの配置など、命名権以外の部分についての運営をまかされることになる。

社会・地域に隙間があることは79年、80年を境に許されなくなっていく。

自分たちの地域に長く住んでいた人達は杓子定規に判断しなかった。

危険なことが起きた場合、責任を問うのではなく、「だから危ないといっただろう」という視点を子供に教える。

これはある意味では国際標準だった。管理責任を問うようになると、全てが杓子定規になってしまった。
ホームレスは追い出してもどこかに行くだけです。しかし近隣に住んでいる人からすれば、取り敢えずどこかに行ってもらえればまあ「解決」だといえるかもしれません。私だったらそう感じます。
しかし行政の運営がそうあってはいけません。
完全にホームレスはゼロにはならないかと思いますし、公園の健全化が必要なのは事実だと思いますが、公園を無くすこと、公園の運営を変えることは宮下公園が健全でないことの改善にはならないだろうと思います。少なくとも、ナイキに任せて公園の用途を限定的にすることについては非常に疑問が残ります。公園はおおやけの園なのではないのでしょうか。
宮台先生が隙間を残しておけ、というのは最もだと思います。