柏市うわちゃん男性の方ですね。「あたしはあなたのお母さんじゃない」と「どうせ体が目的なんでしょ」は実際に口からでたら笑っちゃうセリフだとは思いますが、似たようなことを言われた男性は多かろうなと思います。
「私の嫁さんはドラマ的な発言にあこがれがあるようです。
機嫌が悪い時によく言われるのは
『あたしはあなたのお母さんじゃないのよ』
と
『どうせ、体が目的なんでしょ』
です。
本人はいたって真面目に怒って行っているようなのですが、私は笑いを堪えるのに精一杯です。
もうちょっと他の言い方があるんじゃないかな。」
自分で自分を抱きしめながら、どうせ体が目的なんでしょって(笑)。
気持ちを受け止めてあげてください。
そんな独創的な言葉をみんなあみだせませんから。
自分の気持を何に乗せてっていうときにね、たまたまそこに大映ドラマがあっただけですからね。
「あたしはあなたのお母さんじゃない」という発言の裏側にあるのは、「自分のことくらい自分でやって欲しい」という作業としての役割分担要求ではなく、立場としての役割分担要求が確率していないことに原因があると思います。
女性が自分の立場を規定する際に、「女としての私」、「妻としての私」、「母としての私」という枕詞がよく使われます。結婚した女性が相手の男性から規定される姿は「妻としての私」よりも「(子に対する)母としての私」の場合が圧倒的に多くなり、子供に対する「母としての私」の立場はそのまま家での「母」の規定と重なることになります。これに負担があると、「あたしはあなたのお母さんじゃない」に該当することになります。
「どうせ体が目的なんでしょ」は「女としての私」と「妻としての私」のどちらに不満があると出てくるのかというと、これはどちらでもない、ということになるでしょうか。
女性が「妻としての私」という言葉で自分を規定するときと、「女としての私」という言葉で自分を規定するときの違いは何かと考えると、「妻としての私」といったときには、自分の社会通念の役割と夫への立場が重なっていることを意味しています。対して、「女としての私」といったときには、社会通念の役割もしくは夫への立場を外れて「自分」がはみ出した時に使われています。
「妻としての私」「女としての私」という言葉は、それを口に出していう場合には、多くの場合対立概念として使われるわけです。「妻としての私」と「女としての私」の自分が重ならないという意味ではありません。この言葉を使うときには、対立するものとして使われる、という意味です。
言葉として「妻としての私」と「女としての私」が対立して使われるというのは、その芯にある「自分」はどちらの用法でも同一物として感じられていて、その実感を立場に置くか、立場から外れたかで変わってくるということです。
「どうせ体が目的なんでしょ」はこの「自分」を「妻としての私」「女としての私」のどちらにも男性側に置かれなかったように感じられた場合に言われる言葉です。
「女としての私」としてしか見ていない場合に使われる、ようにも見えますが、違っています。
男性側からの女性の規定が「妻(恋人)としての私」でもなく、「女としての私」でもないことを指していると思います。
さて、『あたしはあなたのお母さんじゃないのよ』と『どうせ、体が目的なんでしょ』と言われたとき、なんでそんな言い方するんだ、と笑ってしまうのはそれはそうなんですが、相手は確かに、「自分の規定の仕方が不満だ」といっているのだと思います。こういう言い方やよくある言い方、ちょっと気をつけたほうがいいような気がします。
よくある言い方をしていますが、その不満の表現の仕方が何かから借りてきた形になっている為に、不満の大きさを測れないからです。他人がよくある言い方をしているとき、その感情がどのくらいの大きさに育っているのか、逼迫感はどの位なのかはよくある言い方故に測れないというのはちょっと頭の片隅に置いておきたいものです。