2010年9月7日火曜日

8月15日と9月2日。二つの終戦記念日。ニュース探求ラジオDigより。

9月1日 ニュース探求ラジオDig「藤木TDCさんのCDT」より私の抜粋メモです。
日本の終戦記念日は8月15日で、一方海外では9月2日だというお話。

9月2日は宝くじの日とか靴の日とか色々あるが、アメリカとかイギリスとか、第二次世界大戦で勝った国は「VJDay」(victory of a japan day )として日本に対して戦争に勝利した日としてお祝いしたりする。

いわゆる終戦記念日である。日本では8月15日が終戦記念日で、日付が違っている。


9月2日は日本がアメリカとかイギリスとか9カ国に降伏して降伏文書に調印した日。

太平洋上のミズーリ号という戦艦の上で調印したニュースフィルムなんかで時々出てくる。

本来戦争というのは正式に降伏した日というのが終戦の日になるが、日本は何故か8月15日。

8月15日は昭和天皇が玉音放送を流した日だが、終戦とはどういう意味かと普通考えるかというと、戦争が終わること、と考える。

ところが、8月15日ってまだ日本は戦争をしていた。8月9日に当時のソ連が満州に侵攻してくる。

8月15日にも千島列島にソ連が侵攻してきていて、日本の兵隊が戦闘状態になったりしていた。

なんでそういうことが起こるかというと、終戦して無いからということになる。

日本は終戦の詔書を天皇陛下が放送して、そのちょっと前に外務省を通じて連合国に連絡をしているが、連合国側はそれを降伏の意思表明としてしか受け取らなかった(正式な降伏がされたという対処をしなかった)。

日本は昭和天皇が全軍に対して即時停戦の大命というのを下すが、全部は伝わってなかったり、勝手に日本軍が勝手に出したものだと受け取られてしまっていた。

その間にソ連は満州に侵攻して関東軍を全部抑えこんで、50万人くらいシベリアに抑留されたり、千島ではある本の統計では8万人くらいの方がなくなっている。

ソ連の場合はちょっと汚くて、9月4日あたりにも進行したりしているが、基本的には9月の2日が終戦としている。

なんで日本は8月15日と考えるかというと、連合国の司令官はマッカーサーだとずっと思い込んでいた。

アメリカに対してだけ降伏の宣言をすればそれで済むと思っていたが、ソ連はそれを認めていなかった。

日本の兵隊達はその間戦争が終わったのかどうか分からない状態で戦ったり放置されたりした。

何故今も8月15日が終戦記念日なのか。

日本人のメンタリティとして玉音放送を終戦として思い込みたいというところがあるが、歴史的な事実としては違う。

満州での戦闘や千島での戦闘は歴史上ないことにされてしまう。

そういうことを描いた本もある。

池上司さんは千島で戦った人々について書いている。

半藤一利さんもソ連の満州侵攻について書いている。

国際社会でのやりとりをするときにうちはこう思うからこうなんでしょっというのは凄い失敗を生んだりする。

日本は8月15日に戦争が終わったと思っているけど、18日くらいには8万人くらいが戦死して、50万人くらいがシベリアに抑留されたりしている。

国際社会での公称の仕方とか、文書のやりとりとかは厳密にやっていかなきゃいけない。

9月2日というのを機会にこういう事を考えてもいい。

9月2日はとても重要なのだが、8月15日に戦争は終わったと考えて、ソ連にやられた。

今の普天間問題とか国際問題にそういう考えは脈々と受け継がれているのではないかと考えた。

国際法や歴史の解釈について改めて考えてもいいと思った。

今日感動しましたよ。という外山惠理さんに対して、ホントは9月2日はクンニの日とか言いたかったんですが、と藤木さんが締めたあたりは流石といったところです。
言いたいことは色々ありますが、終戦の日というと色々と口を挟みづらいものですが、その終戦の日自体が矛盾と欺瞞で満州・千島で犠牲を生んでいるとなると、「静かな祈り」が恐ろしく感じられます。戦争に対して何も口を挟めない空気は絶対に作ってはいけないと思います。それと鎮魂とは全然別のことです。