2010年7月18日日曜日

デパートの象の話を聞いた。

7月6日のTBSラジオ「小島慶子キラ☆キラ」で聞いた話です。
日本橋高島屋の屋上でかつて(昭和20年代)象が飼われていたそうです。
「高子ちゃん」という名前の子供の象が飼われていて、あまりにも大きくなったので、ある日、中央階段を降りて動物園に引き取られたとか。


現在だったら、恐らく、いろいろな形で「批難」されることでしょう。
わたくしの個人的な感想としては、「最後まで飼えよ」というところにつきますかね。
後先考えず動物を飼うのは、現在の価値観としては、ほめられたものでないものかと思います。

しかし、わたくしが昭和20年に生まれていないからかもしれませんが、象がデパートで飼われていたことに対して、何故か明るいもの、希望みたいなものを感じます。


デパートがハレの場であったからなのか、象が暖かく迎えられる動物の象徴だからなのか、なぜかはよくわからないのですが、象は人の幸せを考えさせてしまう動物なのかなあ、とは思います。晴れがましい時代のデパートはわたくしの頭の中のイメージに過ぎません。大きな体、聡明な頭脳、憂いとやさしさを湛えた眼、戦争、毒入りの餌、色々な象のイメージだって本当の象の理解に何の寄与もしていないのでしょうね。何かを理解するためにその場に足を運ぶのは重要なことかもしれませんが、1回や2回みただけで、現場を見たって断言してしまうのも問題です。象は動物園に何回見に行っても、自分のもっているイメージを壊しも寄せ付けもしません。ただなんとなく、不幸とも幸せとも言えない生き方をしている大きな動物がそこにいて、ただし見に来ている人間側はみんな幸せそうに見えます。

今もやっているかどうかはわかりませんが、ある動物園の象の餌やりタイムの飼育員の方の解説にとても感動したことがあります。
毎日決まった餌やりの時間に、象に横になるような訓練をさせたり、栄養上は必須でも何でもない食パンを与えたり、といったことを決まってやるのだそうです。横にする命令は普段は重要ではないらしいですが、いざ足の裏に傷ができたりしたり、ケガをしたりしたときに、横にする命令が徹底しないと象の体をみてやることができなくなるので、普段は必要なくても横になる練習が必要だとか、餌に紛れて薬を使用する必要がある場合に備えて、薬を仕込みやすい食パンを食べならしておくとか、傍からみてヒトが象に対して「愛」をもってしてしている行為が訓練の形をしていたりするのはなんだかよくわからないのですが、感動的に思えます。
デパートの屋上の象も多くの人に愛されたのでしょうね。ただし見世物としてでしょうが。
でも「見世物にする為に」必要な訓練として、象に対してなされた訓練そのものは、象に対する愛情として象に伝わっていたのではないかなぁと思います。
象には子どもがよろこんで「ぞうさんだー、ぞうさんだー」と指差し騒ぐ様子はどう映っているのでしょうか。私にはそれは平和の光景の象徴に見えますが、飼育員の方がどう思っているのか、聞いてみたい気もします。