2010年10月14日木曜日

横井庄一さん、小野田寛郎さんのこと。くにまるジャパン「マイクの記憶」の感想。

10月12日のくにまるジャパン「マイクの記憶」の感想です。


あさま山荘事件があった昭和47年1月、グァム島で太平洋戦争生き残りの元日本兵が救出されました。

横井庄一もと陸軍伍長でした。終戦も知らず27年間ジャングルの洞窟で暮らした横井さんにとって、戦争はまだ終わっていませんでした。

「えーグァム島敗戦の状況をつぶさにみなさんに知っていただきたいと思って、恥ずかしいけれども、帰ってまいりました。」

そして横井さん帰国から2年後の昭和49年、今度はフィリピンルバング島でまたも日本兵が発見されました。

「小野田しょーい。私が谷口です。あなたにー、抵抗をやめてー、すぐ出てくることをー、命令しまーす。」

陸軍中野学校出身の元陸軍少尉小野田寛郎さんでした。上官だった谷口元少佐の任務解除の呼びかけに応じ、ようやく祖国日本にかえることになったのです。

-今まで一番つらかったことはなんでしょうか

 「戦友を失ったことです。」

-嬉しかったことはなんでしょうか。

 「26年間、嬉しかったことっていうのは今日の今までありません。」
くにまるさんが横井さんの「恥ずかしいけれども」を「恥ずかしながら」だとずっと思っていた、とおっしゃっていましたが、私も全く同じでした。呼びかけの時の掛け声のかけ方なども今よりもどことなくのどかな声かけに聞こえてしまうのが不思議です。実際はのどかどころでは無かったと思うのですが。

お二方とも、戦争の敗北の様子を語りに戻ってきたとか、戦友を失ったことが悲しいとか、そのようなことを第一声に仰っているのが印象的です。
「26年間、嬉しかったことっていうのは今日の今までありません。」

重たい言葉とはこういう事をいうので、深刻めかしてテレビカメラに見つめられたコメンテーターからはこういう言葉はでません。
他人から見ると、無為に時間を過ごさざるを得ない人生になってしまう人が時代時代に必ず現れます。冤罪事件の被害者や、戦争をひとりで続けた人々。
そういう人々から、特別なことをいっていないのに、とても重たい言葉を聞くことがあります。
映像ではなく、肉声だけを残すラジオにも、その言葉の重たさを伝えていって欲しいと思います。