1968年2月20日、金嬉老が2人を射殺して、泊まり客を人質にとって籠城した。
88時間の籠城の末、報道関係者に変装した警察によって逮捕された。
当時、複数の新聞記者が犯人に和室の部屋で面会している。
なんで暴力団に入って二人射殺したか、その間にどれだけの差別を受けたか新聞記者達に語った。
その中の朝日新聞の記者は後に総理となった細川護煕さんだった。
その後金嬉老裁判で色々な文化人がこの裁判をバックアップした。
背景の差別・貧困を知るべきだということを突きつけた。
ちょうどこのころと同じ時期に永山則夫事件というものがあった。
「無知の涙」という本がこの時期に書かれたが、この時期のこの事件は「犯罪というのはなぜ生まれるか」ということを社会に突きつけた。
金嬉老はその後釈放されるが、韓国で傷害事件を起こしたりしている。
もう一つ今だったらありえない話がある。
当時ダイナマイトを服のように着ていたが、当時の警察は在る新聞社の腕章をかりて、近寄って、さっとダイナマイトを取り去って逮捕した。
腕章をかす新聞社は今だったら問題になるだろう。
今だったら新聞記者が話を聞きに行くのは無理だし、スナイパーが出てきて対応だろうが、時代が変わったのを感じる。
犯罪者の言い分を聞きに行けるというのは信じられない状況です。
細川さんが新聞記者で直接この場所にいたというのは初めてしりました。